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bbbogq30 2013-9-20 02:02:53
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私たちがしたことは、はっきりと記憶している。 ベッドで抱え上げた、彼女の、ほとんど私の腿《もも》ぐらいしかない細いウエスト。彼女のからだを私のからだの上に降ろそうとしたときの、彼女の狼狽《ろうばい》。 私は、倒れ込もうとする彼女の上体を、下から支えていなければならなかった。 あるいは、私の腰が、彼女の閉じようとする脚を押し開いて進むときの感覚。彼女の震え。 しかし、そういったときの彼女を、私のからだに残る印象や彼女のからだの動きではなくて、彼女自身を思い出そうとしても、それは出来なかった。 水野さんは透明だった。 私は、彼女と食事をし、彼女と抱き合った。 でも、それは。 私には、わかっていた。もう、終わりにすべきだった。水野さんのことも、沢木さんのことも。 夜の街を走る車は、外界から遮断されている。同じ道を通っても、ロング?ジョッグのときと、景色がまったく異なって見える。 遅くまで開いていて、そこだけがひときわ明るい花屋。メニューを拡げたボードが出ているレストラン。頑丈な鋼鉄で切り取られた空間が、私を乗せて静かに移動していく。 限界だった。それは、おそらく、私という人間をひとつの統合体として維持していくうえでの。 私は、出来るだけエゴイスティックに考えようと思った。私は最悪の選択をしたのだ。クリニック内で、ふたりの女性と関係を持つ。 それは、私の大切にしている審美歯科医院を、崩壊に導く行為だ。なんとも愚かな、絶対に避けるべきことだったのだ。私は、以前の私に戻らねばならない,ダンヒル 名刺入れ。 私は、思う。 結局のところ、私の妻が小説を書いたとき、すでに、こうなっていくことが、私には、見えていたのではないのか。 たとえば、自分のからだがダメージを受けるとき、それを予感することはないだろうか。それと同じことが、きっと、私に起こったのだ。 何時間も前からそんな気がしていたとか、あるいは、朝に目覚めたときからわかっていた、というような虫の知らせ的予知能力のことを言っているのではない。それは、瞬間のものだ。 スルー?パスを受けて、振り向きざまにシュートの体勢にはいったとき、相手側のディフェンダーが視界の片隅に飛び込んでくる。その途端に気づいた、というタイプの予感。 まだスイーパーの腰が沈み、再び伸び上がってきているわけではない。それでも、確実に、彼の左脚が、そのときにはすでにボールを離しているであろう自分のからだに向かって蹴《け》り出されるのが予想出来る。 そして、腹部を襲うはずのショックまでも、あらかじめ感じ取ってしまっているのだ。呼吸が止まり、痙攣《けいれん》する腹筋。 そして、不思議なことには、そんなときに、それまでの、こどものころからの怪我の記憶がよみがえってくることがある。たった、一瞬のうちには、そんな時間までもが存在するのだ。 ああ、前にも、こういうことが起こった。まったく忘れていたけれど、怪我というのは、こんなふうにしてするものだったのだ、とわかる。 そうだ。ダメージの予感から、現実の肉体の損傷に至るまでの、その間に覚える感情の呼び名としてもっとも似つかわしい言葉は、一種の、懐かしさ、なのだろう。 急な坂道を上り切り、左折しマンションのドライヴ?ウェイにはいる。ともあれ、家に着いてしまったのだ。これ以上時間をかせぐことは出来ない。 そう、時間をかせぐ。 はたして、そうとまで言い切ってしまってよいのか、本当に、それが正しいことなのかは、よくわからない。私が、水野さんと一緒にいたのは、クリニックから、まっすぐに家に帰ることが出来ないからだったのだろうか。私の妻と会ってしまうのを先に延ばしたかった? 私は、ひとつひとつの動作を、ゆっくりと、確実に行う。車庫のシャッターの開閉、マンションの入口のドアのオート?ロックの解除。
哼(ˉ(∞)ˉ)唧